
『夫婦生活』篇
《第四回》三遊亭歌笑の死と
末永勝介の編集者魂
三遊亭歌笑という落語家がいた。
といっても、今の人はほとんど知らないだろう。
朝日人物事典を引く。
〈1917年東京生まれ。37年3代目三遊亭金馬に入門。四十年歌笑となった。極度の弱視で兵隊にとられなかった戦時下に、古今東西の書籍を乱読した成果を、戦後、自作の「純情詩集」に実らせ、ラジオを通じて一躍人気者となる。47年真打ち。テレビのない時代の全国的スターで、戦後を象徴する軽文化のにない手の役割を果たした。
その絶頂期に銀座通りで米軍のジープにひかれて即死した──〉
当時は占領下でGHQのプレスコードが存在し、ひいたのが占領軍の車であることは発表されなかった。朝日人物事典には書かれていないが、歌笑の「純情詩集」は、その奇妙な顔と相俟って「ゲテもの」「落語ではない」などと批判もされたが、大衆は圧倒的にその面白さを支持した。
ぼくらの世代だと子供の頃、ラジオで柳亭痴楽の「痴楽綴方教室」という落語をよく聞いたものだが、あの痴楽の「綴方教室」は歌笑「純情詩集」の焼き直しだと言われている。
人気絶頂の時の事故死。昭和二十五年五月三十一日の朝日新聞は「歌笑ひかれて即死 昨夕、銀座の路上で」と3段の記事でその死を伝えている。
〈終戦後、独特な表情と奇声がアプレゲールの観客に受け、「歌笑純情詩集」や「迷作集」など新作落語などで落語界の異色。家人の話では同日昼、日比谷公会堂に出演、同四時半ごろ某雑誌社の座談会に出席、その帰り途だった。〉
この「某雑誌」というのが『夫婦生活』だった。朝日がことさら「某雑誌社」としたのは『夫婦生活』という誌名を紙面に出すのを嫌ったのであろう。
朝日は『夫婦生活』をまともな雑誌とは認めていなかったのである。
『夫婦生活』で対談(座談会は間違い)した相手は大宅壮一であった。企画したのは『夫婦生活』二代目編集長の末永勝介。末永は元『主婦の友』の編集長、大宅壮一の弟子を任じ、後に大宅文庫の専務理事、大宅マスコミ塾の事務局長なども務めた。
その末永にして終生『夫婦生活』の編集長をしていたことは明らかにしなかった。表だってそう口にすることをはばかる時代だったのである。
『文藝春秋』昭和三十二年六月号に駒込公平という人物が「『夫婦生活』始末記」を書いているが、「駒込公平」、実は末永なのである。
末永編集長が企画した大宅との対談を、当初、歌笑は嫌がったらしい。
〈当時毒舌をもって鳴っていた大宅氏の名前をきいただけで、恐れをなして尻込みした。恐れた最大の理由は「大宅先生は、ボクの顔のことをきっというんでしょうね」といってそれを売り物にしていながら、自分の顔に対してものすごいコンプレックスを抱いていることを示した〉(「『夫婦生活』始末記」)
末永がその後、あれこれ手を尽くして歌笑を口説き落とし、対談は実現したわけだが、さすがに大宅壮一で、いきなり歌笑がいちばん嫌がっていた容貌の話から始まった。
〈大宅 舞台に立つ人は容貌が資本だから、あなたは非常にとくをしていますね。
歌笑 いえいえとくなんかしていませんョ。女にはフラれるし(笑声)。舞台でたまにはモテてみたいと話すんですョ。それでネェ、カフェーにでも行くと、「いらっしゃい」とも言わないんですネ。(指さしをして、手を口にあててお腹をかかえて)……「来たわョ、来たわョ」と言って、一番最初笑って、それきりですね(一同爆笑)。
大宅 だけど、悪食趣味の女というのもあるでしょう。
歌笑 あまりないですョ。あたしなんか悪食の部類ですかネェ。面白くない対談だなぁ(笑声)--〉
当日(五月三十日)の夜、末永は同じ銀座の料理屋の隣の部屋で別の座談会の司会をしていた。
座談会の真っ最中、女中が血相変えて飛び込んできた。
「大変です。歌笑さんがジープにひかれました」
末永は慌てて座談会を中止にして六丁目の現場に馳けつけたが、黒山の人だかりの中、救急車は既に菊池病院に向かっていた。
歌笑のマネージャーは対談を承諾した時、こう言っていた。
「歌笑は目が悪いので(斜視で視力もかなり弱かった)必ず帰りは車で送ってください」
担当編集者はなぜ約束を守らなかったのか。これは大変なことになった、と末永は責任を感じた。
だが末永が病院についた時には歌笑は既に亡くなっていた。
数日たって、マネージャーの談話が新聞に載った。
歌笑が車を断り、横断歩道でもないところを急いで渡ろうとしたのは、銀座裏の愛人のもとに急ごうとしたためだとあった。
それを読んで、こちらの手落ちではなかったとホッとする気持もあった--末永はそう書いている。
大宅とのこの対談は、三木鶏郎、柳家金語楼らの追悼文とともに二十五年七月号に掲載された。タイトルは「歌笑死の直前大いに夫婦生活を語る」。
末永の編集者魂を見る思いがするではないか。
『夫婦生活』の六年間の歴史のなかで、この歌笑の死は最大の事件だった。(文中敬称略 以下次号)