『夫婦生活』篇

《第二回》真正面から"性"に取り組む
新たな試みで三十五万部の大雑誌へ

 『話』がいきなり『夫婦生活』に変った時、後に三代目編集長になる仲木都富は「いずれにしろ、これはエライことになったなぁというのが偽らざる実感である」と書き残している。
 B6判。『リーダースダイジェスト』と同じサイズ。表紙にはピンク地にモダンな若妻にうつむき加減の夫が寄り添うという絵。140ページで定価は60円だった。
 創刊号の目次を見てみよう。
 巻頭言が「夫婦生活の大道 霊肉一致の夫婦生活」。筆者は永井潜東大名誉教授。
 特集は「理想的な各種避妊法」。
「器具や薬品を使わない避妊法」「コンドーム避妊法」「避妊用の器具と薬品」などを安藤直一、金子栄郎ら現役の慶大教授たちが執筆している。
 もうひとつの特集が「性行為を子供に見られたら」。
 このテーマで渋沢秀雄、新居格(作家・杉並区長)、式場隆三郎(医学博士)らが短かい文章を寄せている。
 避妊は当時の大きな問題だった。エーザイから避妊薬サンプーンが発売されたのもこの年で、これが戦後新薬の第一号だった。
 住宅事情も極端に悪く、結婚相談所に来る女性の理想の男性像は「アパート住まいの男性はイヤ、一戸建の自宅を持っている人」というあたりにも当時の世相が伺える。「子供に見られたら」もそんなところから出てきた特集だろう。
 巻頭グラビアの誌上名作写真展はドモンケン(土門 挙)のヌード。連載「夫婦の性典」に竹村文祥都立飯田橋病院副院長。元北海道帝大助教授で多年にわたって秘蔵していた世界の性典、性科学書を駆使、今でも通用する内容である。
 『夫婦生活』という誌名からもっと軟らかい内容の雑誌を想像されるかもしれないが、執筆者の顔ぶれといい、内容といい、かなり真面目に性に取り組もうとしている姿勢は見える。
 もっとも、読者の方が『夫婦生活』で真面目に避妊法を学ぼうと思っていたかどうかは疑問である。
 週刊誌に“借りエロ”という手法がある。こんなひどい本が出てますよ、とその内容を逐一紹介、読者のスケベ心を満足させるという手法だが、『夫婦生活』の編集者にもそんな気持ちがあったのではなかろうか。いや、読者は間違いなくエロを求めて『夫婦生活』を読んでいたのである。
 それが証拠に『夫婦生活』のもうひとつの売りものが手記だった。「私はなぜ姦通したか」などの読者の手記や「若い燕と駈落した大学教授夫人の手記」が毎号特集されている。コラムなどもかなり手がこんでいる。
 固い記事と柔らかい記事の絶妙の組み合わせが、『夫婦生活』だった。
 いったいどんな内容なのか。創刊号から一部引用する。
 まず永井潜東大名誉教授の「夫婦生活の大道」。
<一代の法学者、社会学者として有名なギルケ博士は「人間が人間に対して感謝すべき凡てのものは、人と人の結びつきによって生まれる」と申していますが、誠にそのとおりであります。由来、人間をして人間たらしめる大本は、その発達せる社会生活、即ち人と人との結びつきにあるのです。
(中略)而してこの重要な社会生活の源泉となり、大切な教養の第一歩を踏み出すものは、結婚によって結びつく夫婦生活であります。本能によって、単に刹那に生くべき動物では、種族保存の仕事は極めて簡単で、力強い本能たる性欲の導くままに、その満足を求めればよいのでありまして、随って雌雄の結びつきは、一時的・肉的でことが足りるのですが、(以下略)〉
 誠に堂々とした東大名誉教授にふさわしい巻頭論文だが、引きうつしていてもエロのエも感じられない。当時の読者はこの論文をどんな気持ちで読んだのであろうか。
 もう一本。竹村文祥博士の「夫婦の性典」から。<夫婦の性生活に関する一切の問題をとりあげ、小説風に記述し、津々たる興味のうちに難解深奥な医学的知識をことごとく理解せしめるという全くの新しい試み>なんだそうである。
 若い医学士の佐田栄二と、近く結婚することになっている愛人の山内敬子が主人公。
< 「メンスは女だけにしかない。と今言ったが、実は月々ちゃんとメンスのある男のことを思い出したんだね」
「男にですか?」
 インテリを以て自認している山内敬子もいささか呆れたらしい。
(中略)
 薮田医学士の前立腺はかなり大きい。そして、大体一ヶ月毎に月経がやってくるというのだ。月経といっても女みたいにはっきりしたものではない。尿にうすい赤い色がつく程度である(中略)。
 この血液が腎臓と膀胱、尿道からきたものでないことは詳しい検査で分かった。何よりもこのときに肛門に指を入れてみると、ふだんよりも前立腺がずっと大きくなっている。そして、指でこれを圧迫してとった前立腺の分泌物の中にはかなりたくさんの血液をまじえているのである。男性月経と言えば非常に珍しいが、とにかく一応こんなこともある事を知っておればいい。>
 こんなことは知らなくてもいいと思うのだが……。竹村博士の該博な知識が随所に見られる。
 『夫婦生活』創刊号は七万部刷った。だが取次は四万部しか引き取ってくれなかった。配本もされない三万部の山を見つめながら社員たちは、不安な思いで発売日を迎えたという。
<びくびくしながら、七万部刷って発売した創刊号は、発売前の取次店の予想をまったく裏切って、即日売切ってしまった。はじめ、見本を持って廻ったとき、どこの取次店も、その貧弱な執筆スタッフと、ほとんど雑誌作りには素人に近い編集者たちがつくったこの薄手な創刊号には、冷淡きわまる態度を示した。七万部印刷した創刊号は、泣くようにして頼み、やっと四万部納めたが、残りの三万部は配本しきれずに社にうず高く積まれた。そしてその日は、これに社運を賭していた経営者はもちろん、社員たちも暗澹たる面持で、口をきく元気すらなかったのである。
 それが、発売と同時に売切れたばかりか、残りの三万部もその日のうちに追加注文を受け、注文に応じきれずに月刊雑誌の増刷という異例の事態にまで発展した。すなわち、急遽二万部を増刷し、これを落丁本をまとめたと称して、白表紙に「夫婦生活・創刊号」とだけ銘うって発売したが、もちろんこれとて瞬くまに売りつくしたのである。>(駒込公平「雑誌『夫婦生活』始末記」『文藝春秋』三十二年八月号)  そして七号目の昭和二十五年新年号では発行部数三十五万部、『文藝春秋』や『中央公論』をしのぐ堂々たる大雑誌に成長してゆくのである。(つづく)

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