ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の

ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の クラシックな日々 in ボストン

【第23回】
 「オーボエの恩師〜ジョゼフ・ロビンソン先生のこと」


カナダ・ヴィクトリアにも足を伸ばしてみました

 ひとつの道を究めようとする者にとって、素晴らしい師匠、或いはメンターを持つこと。これは道が長くなり深くなるほどに、その大切さがしみじみとわかってくるものだと思います。
 8月初旬の夏休み。オーボエの恩師、ニューヨークフィル首席オーボエ奏者であったジョゼフ・ロビンソン先生を訪ねる旅に出掛けました。先生はリタイア後、住み慣れたニューヨークを離れ、第2の人生の拠点を西海岸ワシントン州最北の小さな町に定めました。東海岸のボストンからはとても遠かったけれど、カナダとの国境近くで、山も海もある美しい自然と澄んだ空気、真夏でも心地よい涼しさが印象的な素敵なところでした。


雄大な山々も間近に

 ロビンソン先生との初めての出会いは、私が16歳の時。ニューヨークフィルの来日公演の楽屋に、花を抱えて訪ねていきました。その後、先生の教えるニューヨークの音楽院へ留学、特に最初の2年間は、本当に【ロビンソン先生が全て】でした。見知らぬ外国暮らしであることに加えて、少しでも先生のオーボエに近づきたいと必死だったのです。先生の言葉、教えには忠実に従い、時にはその意味を考えて眠れぬ夜を過ごし、先生の一挙手一投足にも敏感になりました。先生の出演するリハーサルとコンサートは可能な限り聴きに行き、まるで先生を四六時中、追いかけているような日々。そんなことで、先生と共にする時間が多くなり、しょっちゅう食事をご馳走になったり、オーボエ以外でもいろいろとお世話になりました。その分、心の交流もより深くなったと思います。
 今回の訪問では、先生と美味しいものを食べ、散策やゴルフなど、ひたすら楽しく過ごすはずでした。でも結局、気が付いたらオーボエを出してリードを調整し始め、今後のコンサートのプロジェクトについて延々と話し込み、20数年前と同じような時間の過ごし方になりました。昔から、ロビンソン先生は顔が広く、行く先々で見知らぬ人とも話を盛り上げ、どんどん出会いを広げていきます。そんな幅広い人脈のお陰で第一線を退いた今でも、コンサートや教授職のオファーが続々とくるとか。「ケイスケ、ちょっとした出会いも大切にしなさい。特に交流の深い人というわけではない、知り合って間もない人からの口添えでものごとがいい方に展開することはよくあるよ。」というのは先生からの大切な教えのひとつです。


ジョゼフ・ロビンソン先生と

 楽しく過した4日間の最後に、ロビンソン先生はこう言いました。「ケイスケのオーボエを聴いていて、学んだことがいろいろあるなあ。良い刺激を受けたよ。また近いうちに遊びにおいで。」
 まだ16歳のオーボエ少年だった私、ジタバタともがいていた修行時代の私が先生の脳裏には焼き付いているはず。それでも、いやしくも一時代、オーボエ界のトップにいた大先生がかつての弟子にこうさらりと言えることに、先生の人としての大きさを見る思いでした。
 今でも最高潮の頃の先生のオーボエの音がはっきりと聞こえてくる私には、その素晴らしさを、次の世代に引き継いでゆく責務があるのでしょう。良き師弟関係こそ、世代を越えて永く繋げていくべきものだと心から思えた恩師訪問の旅でした。

 
若尾
マンハッタン音楽院ジョセフ・ロビンソン氏に師事、卒業後同学院で教鞭をとる。マイケル・ティルソン・トーマス率いるニューワールド交響楽団創立の1987年、初代オーボエ奏者として同楽団入団。1990年よりボストン交響楽団準首席奏者及びボストンポップスオーケストラ首席オーボエ奏者を兼任。更にニューイングランド音楽院で教鞭をとる。日本での活動としては88年より“若尾オーボエキャンプ”を毎年行っている。98年クリストフ・エッシェンバッハ氏と共演のデビューCD「カンツォネッタ」をはじめとし、ジョン・ウィリアムス氏等の著名な音楽家とのCDも多数リリースしている。近年では代官山ヒルサイドテラス音楽祭音楽監督、スーパーワールドオーケストラ首席オーボエ奏者など、ソリスト以外にも様々な活動を展開している。
http://wkboston.exblog.jp/
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