ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の

ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の クラシックな日々 in ボストン

【第18回】
 バイリンガル教育を考える

 アメリカ生れ、アメリカ育ち、両親は日本人という環境に生まれた我が家の一人娘は、まもなく2歳4ヶ月。おしゃべりも達者になり始めました。
 今回は、ボストンで育つ娘を通して考える我が家のバイリンガル教育についてです。

《バイリンガルは努力の結晶》

 私は当初バイリンガル教育など眼中になく、アメリカに生れ育つのだから、この環境と教育を享受して、アメリカ人として立派に育ってほしい。そのためには完璧な英語をものにすべきであり、そうなると日本語を学んでいる暇などないだろうと思っていました。
 音楽の世界を見渡しても、何ヶ国語も流暢に話す国際的な音楽家もいるけれど、母国語訛りがあったり、辿々しい英語を堂々と話す大音楽家はたくさんいます。言葉は大切なコミュニケーションの手段ですが、もっと大切なのはそのスピリットだという想いが強いからです。
 ところが妻の考え方は、「日本人たるもの、どこで育とうと日本語が話せなくてどうするの。娘には普通の日本人と同じように日本語を話し、読み、書けるようになってもらいます!」と厳然たるもの。うーむむ。その迫力に負け、バイリンガル教育に乗り出しました。
 まず、家でも外でも両親とは必ず日本語で話すこと。中途半端に英語と日本語を織り交ぜて話すのは絶対にご法度というのがルールになりました。娘の通う幼児用クラスや教会の日曜学校、近所の友達とのプレイデート・・・・・・、とアメリカ人の友だちが多い娘にとって、基本的に両親以外は皆英語を話す人。家では日本語を学び、外で英語を学ぶというバランスを上手に取っていくというのが我が家の作戦です。


教会の日曜学校の仲間達

 娘を見ているとモノリンガルの同じ年ごろの子供と比べると、少しばかり混乱があるのか、文章になって出てくる言葉は少ない気がします。でも娘は娘なりに日本語の世界と英語の世界を行ったり来たりして頑張っている様子。例えば、
「ママ!ミルクちょーだい!・・・ぷりーじゅ!(please)」
「えっきゅーみー。パパ! エッキュウ、ミー!(Excuse me)」
 など家では教えていない英語を話し、驚かされることもしばしば。プリーズ!や、エックスキューズミー!、サンキュウ!はアメリカ人の親が子供に何より先に教える言葉です。しょっちゅう聞こえてくる言葉を耳で覚えるのでしょう。妻は、この調子でどんどん娘の英語力が上達して日本語が二の次になるのではないか、まだ日本語の基礎がない段階で英語も習得しなければならない娘の環境では、将来どっちつかずにならないかと心配しています。
 そこで、妻は自宅での日本語教育の基礎を徹底しようと、日本語の読み聞かせをしたり、日本語のビデオを見せたり、歌を歌ったり、意識的に様々な単語を教えたりと、その努力にはほとほと感心します。更に、娘が学校に通うようになったら毎朝、漢字の練習をさせると息巻いています。でも幼児のうちは親の方針を素直に受入れても、学年が上がるにつれ自我が強くなり、親の思うままにはいかないことは容易に察しがつきますし、年月を経ても親の情熱と決意が色あせない保証もありません。バイリンガルというのは自然に形成されるものではなく、親と本人の努力の賜物なのだとの思いを新たにしています。

《バイリンガル教育も賛否両論》


アメリカ人のお友達は積極的!?

 ひとくちにバイリンガル教育といっても奥深く、難しいものです。実際、アメリカ滞在の長い日本人の子どもたちを見ていると、様々な形態があることに気付きます。英語のみで育った子どものケースだと、日本語で話しかけても英語で応答します(言っていることは理解出来るが返事をするほどの会話力はない、或いは日本語を話すのを嫌がる)。もしくは日本人と同じように日本語を話しているように見えても読めないし、漢字はさっぱりというケースも。そして、日本語は良いが英語が遅れているケースなど、それぞれの育つ環境、個性、向き不向きも関係しますから、バイリンガルにも様々なレヴェルがあります。
 また、日本人として日本語を流暢に話すことに付随して必要になるのは、日本人独特の言い回しというか、言い方だと思うのです。母語として日本語を話しても、アメリカ育ちの感覚では日本社会の中に溶け込んでいくのは難しいだろうなぁと、懸念材料は尽きないバイリンガル教育です。
 英語と日本語を通して深く思考し、それぞれの背景にある文化や伝統を解し、視野の広さや考え方の柔軟性を身に付けて欲しい! と親の夢は果てしない。それでも、私の本音を言わせてもらえるなら、やっぱりバイリンガルなど本望ではありません。言葉を越える才能や魅力を花開かせ、いくつ言葉を話そうともそれは娘にとって付加価値以外の何ものでもないという生き方。何よりも、これを目指してくれたら良いなと願っています。

 
若尾
マンハッタン音楽院ジョセフ・ロビンソン氏に師事、卒業後同学院で教鞭をとる。マイケル・ティルソン・トーマス率いるニューワールド交響楽団創立の1987年、初代オーボエ奏者として同楽団入団。1990年よりボストン交響楽団準首席奏者及びボストンポップスオーケストラ首席オーボエ奏者を兼任。更にニューイングランド音楽院で教鞭をとる。日本での活動としては88年より“若尾オーボエキャンプ”を毎年行っている。98年クリストフ・エッシェンバッハ氏と共演のデビューCD「カンツォネッタ」をはじめとし、ジョン・ウィリアムス氏等の著名な音楽家とのCDも多数リリースしている。近年では代官山ヒルサイドテラス音楽祭音楽監督、スーパーワールドオーケストラ首席オーボエ奏者など、ソリスト以外にも様々な活動を展開している。
http://wkboston.exblog.jp/
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