ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の

ボストン交響楽団オーボエ奏者 若尾圭介の クラシックな日々 in ボストン

【第14回】
 ボストンの春に思うこと〜入団オーディション

 3月末とはいえ、まだまだ寒く冷たい風の吹きつけるボストン。日本の春の暖かな風を想い、桜が満開と聞けばボストンにも桜はあるのに、「今年も日本の桜を見逃してしまったな」と思うものです。
 春は卒業、入学など、新しい旅立の季節でもありますね。私も毎年春になると、大きな節目となった、18年前に受けた、ボストン交響楽団の入団オーディションのことを思い出します。

《ボストン響の入団オーディション》

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思い出のリードを手に

 一般的に、オーケストラのプロオーボエ奏者になるには、厳しいオーディションを勝ち抜かないとなりません。本選に駒を進められるのは、ファイナリストとして残った数名のみ。本選では音楽監督の指揮のもと、協奏曲を共演したり、実際にオーケストラの一員としてオーボエを吹いたり、即戦力となる音楽家かどうかをあらゆる角度から、微に入り細をうがつように審査されます。
 ここまで辿り着いてても、音楽監督や審査員(楽団員)の意見によっては該当者なし、誰も採らない場合も多々ある過酷なものです。
 27歳の時に私が受けたボストン響の入団オーディションでは、第5次審査までありました。このオーディションの為だけに当時住んでいたマイアミからボストンまで飛行機で3往復もしたものです。本選の長い闘いの末、私ひとり採用が決まり、当時の音楽監督であった小澤征爾氏に、「おめでとう。3年前タングルウッドで会った時よりずいぶん上手くなったね。とにかくオーボエさえ上手ければ他のことはどうでもいいヨ。頑張ってください」。と握手されました。
 音楽家は常に舞台で完全燃焼出来ますから、事あるごとに達成感を感じながら生きていけるのですが、小澤征爾氏からこの言葉をかけられた時の清々しい達成感は、生涯忘れることは出来ない格別なものでした。

《選ばれる自分になるには》

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アメリカで発行されている雑誌も多種多様
ボストンでは余り見かけないマガジン・スタンドの前で

 オーケストラの入団オーディションなどに限らず、就職の為の面接であるとか、はたまた恋愛において「大勢の中から選ばれる」ために大切なこととは何なのでしょうか。それは、何をおいても相手つまり選ぶ側の人間の心を動かす、感動させることが出来る自分になる、あるいはそこを目標にあらゆる準備を進めていくことなのだと思います。
 世界中どこでも、入団オーディションが行われる前には、このオーケストラはこういうスタイルでこういうタイプの演奏が好まれるから、そうしないと合格できない、XXさんが第1候補者で他の者にはチャンスはない・・・・・・等々まことしやかな噂が蔓延るものです。「受験テクニック」や「敵を知る」ことは知っていて損ではない情報でしょうが、こんなことばかりに惑わされていては、一体誰のための挑戦なのでしょう。
 その挑戦が、大きなものであればあるほど、自分の信じるもの、納得するもので勝負を賭けるべきではないか。というより、自分が納得していないもので他人の心を動かすことなど出来るわけがない、ましてや人に感動を与えることが使命の音楽家なら尚更そうです。確固たる自信を持って挑戦したなら、万一夢破れてそれが失敗に終わったとしても、後には充分に闘い尽した清々しい思いと、次へ繋がる何かが必ず残る――そんな挑戦をこれからも、いくつになってもしていきたいなぁ。

 今年も見ることが出来ないであろう日本の桜を想いつつ、この春は初心に戻って、また新たなる出発をと秘かに企んでいます。この連載を読んで下さっている皆様にとっても、明るく希望に満ちた門出の春となりますように――そう願っています。

 
若尾
マンハッタン音楽院ジョセフ・ロビンソン氏に師事、卒業後同学院で教鞭をとる。マイケル・ティルソン・トーマス率いるニューワールド交響楽団創立の1987年、初代オーボエ奏者として同楽団入団。1990年よりボストン交響楽団準首席奏者及びボストンポップスオーケストラ首席オーボエ奏者を兼任。更にニューイングランド音楽院で教鞭をとる。日本での活動としては88年より“若尾オーボエキャンプ”を毎年行っている。98年クリストフ・エッシェンバッハ氏と共演のデビューCD「カンツォネッタ」をはじめとし、ジョン・ウィリアムス氏等の著名な音楽家とのCDも多数リリースしている。近年では代官山ヒルサイドテラス音楽祭音楽監督、スーパーワールドオーケストラ首席オーボエ奏者など、ソリスト以外にも様々な活動を展開している。
http://wkboston.exblog.jp/
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