今回のゲストは、ガンダムの「生みの親」で、ファンから熱狂的に支持されている富野由悠季さん。そんな彼が抱えるコンプレックスとは!? 小林香がじっくりと伺った。
第10回 ゲスト フリー演出家・監督 富野由悠季
昭和16年11月5日、神奈川県生まれ。
日本大学芸術学部映画学科卒。1965年 手塚治虫氏のプロダクションに入社。入社以降『鉄腕アトム』の制作進行を経て同作で脚本・演出を初担当。1967年退社後、フリー演出家となる。1979年に「機動戦士ガンダム」の総監督として、アニメブームの立役者となった。それ以後も「伝説巨神イデオン」「機動戦士Z(ゼータ)ガンダム」など数々のロボットアニメを世に送り出す。最近では大学講師もつとめ、日本を代表するアニメ演出家として活躍している。

雑誌との出会い
- 小林
- 子どもの頃は、雑誌をご覧になっていましたか?
- 富野
- うちは少しばかり貧乏だったので、生まれて初めて雑誌を買ってもらったのは小学校4年の時でした。小学館の『小学4年生』です。第2次大戦が終わって10年も経たないくらいで、ようやく雑誌が買えるようになったんです。小学3年までは経済的に買えませんでした。そして、5年生のときに光文社から出ていた『少年』を定期購読しました。その1年前の号を先輩から借りた時に、そこに「鉄腕アトム」の前段の「アトム大使」という漫画が2回連載されていました。購読の年(昭和27年)は、『少年』に「鉄腕アトム」が初めて連載された年だったんです。この漫画ではじめて手塚治虫という作家がいるということを意識しました。漫画にも、それぞれ作者がいるんだということから、その後、手塚作品を追いかけるようになりました。
この雑誌は、今の少年週刊誌と違って、小説など活字のページが多かったんだけど、一応グラビアページもあるし漫画もあるので買い続けました。親や先生からは、中学生になったら『少年』みたいな雑誌は読んではいけないといわれていたのですが、僕には弟が2人いたので、運良く中学3年まで読み続けることが出来ました。当時の基本的な規範として、漫画があるような雑誌を読んでいいのは小学校の間だけ、っていうのがありましたから、中学1年生になったら、勉強が出来ようと出来まいと岩波文庫を読まないといけないんですよ。 - 小林
- 戦後の混乱の中から活字文化がようやく復活してきたんですね。

- 富野
- 新漢字に移行しきれてないんで、昭和28年から30年くらいの岩波文庫はまだ全部旧漢字でしたね。父が中学校の教員であり、戦争中は化学系の仕事をしていましたので、僕が中学生になってからは、『ポピュラー・サイエンス』と『リーダーズ・ダイジェスト』も定期購読するようになりました。両方ともアメリカの雑誌の翻訳物なんですけど、父の趣味と僕の中で育っていった手塚治虫的SF感覚というのがあって、この両誌は高校まで読み込んだ記憶があります。他には『科学画報』という科学雑誌を読んでいました。当時読んでいたものが残っていたんで今日持ってきました。
- 小林
- 1959年の雑誌ですね。中を見てみると、赤線が引かれていたり、切り抜きが貼ってあったりと、ずいぶん熱心に読まれたんですね。
- 富野
- 今『Newton』という流通している科学雑誌があるけれど、そういうものともまた違いますね。
- 小林
- 写真よりも読み物が多いですね。ちゃんと知識を吸収できそう。
- 富野
- 活字があるから中身が充実しているとは一概に言えません。戦後20年くらいの雑誌だから、その頃の科学の啓蒙雑誌としては好きなものでしたね。戦争に負けた技術者たちが、一生懸命なにかを次の世代に伝えていかなければという姿勢がみえるような気がします。
- 小林
- 日本ロケット協会の記事がありますね。ロケットって乗り物は、上昇していく感じがこの時代に合っていた気がします。
- 富野
- そうだと思います。第2次世界大戦の痛みを知り、その反省もあった時代でしたから。アポロが月に辿りつくまでは、世界中の人々が上昇志向を持っていたと思います。「ガンダム」はそういう意味で僕が中高時代に読んだ科学雑誌や『少年』のグラビアで見知ったこと、そのまんまの世界観です。
- 小林
- 科学雑誌に少年雑誌を読んでいた少年時代を送られた後、日大芸術学部映画学科へ進まれたんですよね。大学に入ってからはどんな雑誌を読まれましたか?
- 富野
- この対談のために、大学時代読んでいた雑誌のタイトルを思い出そうと頑張ってみましたが、ほとんど思い出せなかったんです。昨日になって物置にあるバックナンバーを探し出して。『映画評論』と『映画芸術』と『シナリオ』を定期購読していると知りました。これらの雑誌は僕にとっては特別なものでなかったんで、わざわざ記憶すべきものじゃなかったんです。同時に、思い出すべきことを教えられたり、啓発されることがあったという記憶もないんですよね。
- 小林
- じゃあ、その雑誌が後の自分に影響を及ぼしたということはないと?
- 富野
- 一切ない気がします。だけど僕の場合、劇やストーリーを作るという視点で雑誌を読んでいたから、そういった意味ではある程度の学識は手にいれたんじゃないかなと実感しています。とはいえ、どの記事も知的で難しくて実際のところよく分からなかったというのが本当のところ(笑)。でも分からないなりに、読んでいたことがどこかで役に立っていたんだと思います。「ガンダム」について言うと、映画や物語を作る雑誌を読んだことで、宇宙やロボット一辺倒の単なるロボットアニメにしないという素地を身につけられたということは実感しています。

