Show Creator 小林 香の聞かせてください! 雑誌の履歴書

第6回 ゲスト スタジオジブリ 代表取締役社長 鈴木敏夫

夢って大嫌いな言葉です。

小林
今後どのようなものを作りたいとか別にお仕事に限らず、将来こんなのやってみたいということはありますか?
鈴木
なりゆきなんですよね。あんまり先のこと考えないから。
小林
どの位先のことまで考えますか?
鈴木
来年くらいかな。
雑誌ネット
お孫さんが出来たらまた作品が変わってきたりしますか?
鈴木
宮崎はそうですよね。
雑誌ネット
ちなみに鈴木さんはいつご結婚されたんですか?
鈴木
25歳の時かな。
小林
結構若くでご結婚されたんですね。正直、奥様といらっしゃるよりも、宮崎さんといらっしゃる時間の方が長かったりして。
鈴木
それはしょうがないよ。相性の問題だから。
小林
アハハハハ。
鈴木
彼も要求するし、こちらもそれに答えなきゃということでやってきましたからね。
雑誌ネット
毎日顔を合わせないと変な気がしますか?
鈴木
そうでもないけれど。僕の下の階に彼がいるので、ちらっと見て姿を隠すこともありますし。
小林
夢とかってお持ちですか?
鈴木
夢は今の時代においては大嫌いな言葉ですね。
小林
それに変わる言葉はありますか?
鈴木
「もうちょっと目の前のことをちゃんとやりなさいよ」と思います。僕は就職するときも自分に出来そうなことっていうことで、出版社を選んだわけです。実写をやらないのもそう。みんなにもそういう風になって欲しいんですよ。特に今の世の中だとそういう気がする。 高畑勲はずっとやりたい作品に宮沢賢治の「鹿踊り」という作品があるんですけど、鹿が踊るんです。高畑勲はある時それを作ろうとしていた。でも集まったスタッフを見てそれを止めようと決めたわけです。なぜかというとそれを描けるスタッフがいないから。集まったスタッフで出来ることに企画を変えるわけです。それは凄く解りますね。だっていないんだもの。無理やっちゃいけませんよね。僕は大賛成です。宮崎駿は「毛虫のボロ」っていう企画をやりたがっている、毛虫が一本の街路樹から隣の木まで移動する話なんです。それを1本の長い映画にしようと思っているんですが、毛虫ってどうやって動くのかこれを書ける人がいないから、この企画は中々決まらないんですよ。
小林
非常に厳しい一言ですね。でも今のお話を聞くとおっしゃる意味が解ります。夢ではなく、もう決まっていることはありますか?
鈴木
今度岩波書店から本を出すことになったんです。2年間も説得してくれたんでね。僕に喋らせてそれをまとめたいというんですよ。色々な人が本を出したいといってこられるんですが、2年も説得されるとさすがにね、ちょっとやろうかなという気になって。
小林
やっぱり熱意って大事ですか?
鈴木
やはり熱意を持って2年もこられると心が動きますね。
小林
鈴木さんも宮崎さんに口を利いてもらうまで3日間通われましたもんね。その出会いがあってこうした名作が生まれてきたと思うと感動します。
鈴木
高畑勲と宮崎駿が偉いんです。時々、僕は一体何やってたんだろう? なんて思います(笑)。

鈴木敏夫さんに

長年憧れてきたプロデューサーは、“雪駄ばき”でした。格好いい…。鈴木さんとの対話はラベルのボレロでした。言葉がどんどん積みあがって転調し、さらに熱を帯びて上昇し、最後には耳を傾ける人の内部に小さな爆発を巻き起こさせるわけですよ。その爆発のあと私は思索をめぐらすわけです、「リアルにものを見る」ということをしながらファンタジーにも誘うショウの作り方について、再び。数日後に、私が携わっている舞台を見に来てくださるので、緊張しています…!

小林香
Show Creator。
京都市出身。18歳で京都フィロムジカ管弦楽団を設立。その功績が認められ、20歳でニューヨーク・フィルにインターン留学。同志社大学卒業後、ミュージカルの演出・振付家に師事。26歳で東宝と最年少プロデューサー契約を交わし、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「マリー・アントワネット」「ベガーズ・オペラ」「SHOCK」などの大作に携わる。07年に日比谷に生まれた新劇場・シアタークリエのこけら落とし公演をプロデュース。作詞、ショウの演出・構成においても現在もっとも注目されているクリエイターである。

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