Show Creator 小林 香の聞かせてください! 雑誌の履歴書

第6回 ゲスト スタジオジブリ 代表取締役社長 鈴木敏夫

「アニメージュ」創刊までの怒涛の3週間

小林
コミックの編集の後は、どういうお仕事をされたんですか?
鈴木
正確に言うと最初の1年間は週刊誌をやって、その後は2年間コミック雑誌をやってその後1年半週刊誌に戻りました。その後いきなり子供雑誌をやるんです。それは子供のためのテレビガイド誌で「テレビランド」というんです。1年やらないうちにアニメ大ブームで「アニメージュ」という雑誌を創刊することになってそれで、僕が中心でやれって言われたのでそっちをやることになりました。以上僕の出版社における履歴書です。
スタジオジブリ
小林
雑誌を創刊するってとても大変なことだと思うのですが、どういう雑誌を作りたいと思って作られたんですか?
鈴木
そんなことゆっくりと考えている余裕なんて無かったんですよね。そもそも、僕はやる気なかったんですよ。
小林
アハハハハ。そんな。
鈴木
僕の上に尾形英夫という人がいまして、僕はこの人のことは日本のアニメーション史の中ではもっと光を当ててもいいと思うんですが、僕の隣でその人が「アニメージュ」という雑誌を創刊してやろうとしていたわけです。ある編集プロダクションと一緒に、半年くらい研究を重ねていました。それで、発売日はいまだに覚えているんですけど、1978年の5月28日でした。で、ゴールデンウィークが終わって5月5日に突然尾形さんに「敏夫君ちょっと」って呼び出されたんです。その人ケチで普段コーヒーなんておごったことないんですけど、コーヒーおごるって言うんですよ。何かなと思って、偉い人だからしょうがなく付いていったら、いきなりコーヒーが来るのも待たずに「頼みがある」と頭を下げるんです。で、「どうしたんですか? 」と聞くと、「アニメージュやってくんないかな? 」と言うんですよ。「ええ? だって編集プロダクションどうしたんですか? 半年間やってたじゃないですか」と言うと、「ちょっとな、意見の相違があってな、クビにしちゃった」と言うわけですよ。そこから押し問答です。「頼むよ」、「冗談じゃないですよ、僕はアニメのアの字も知らないし」、「頼むよ、敏夫君しかいないんだよ」と言って頭を下げて「もう一杯コーヒー飲む? 」とか言うんですよ。
小林
アハハハハ。
鈴木
とにかく3時間くらい喋ったでしょうか、会社の手前とにかく出さないといけないというから、「解りました、なんとかやりますけど」と引き受けたわけです。
小林
全部真っ白ですか?
鈴木
そうそう聞いたんですよ。「どういう本を作りたいんですか? 」と。そうしたら、「俺の息子がアニメファンだろ、うちの息子が読む本だ」っていうわけです。「それはいいんですけど、どんな本を作りたいんですか? 」と言うと(笑)、「ウチの息子は頭がいいだろ、だから頭のいい子が読む本を作って欲しいんだ」と言うわけです。「もう少し無いんですか? 」、「息子が読むから高級な本にしてくれ」、「解りました。それで値段や、体裁は? 束見本は出来てるんでしょ? 」と聞いたら、「まだ作ってないんだ、値段も決めてないんだ」っていうので「今までなにやってたんですか? 」と聞くと、「色々研究してたんだよ」って。 結局何もやっていなかったわけです。「じゃあ今からまっさらで作るんですよね」と念を押すと、「大丈夫、アニメファンのな、女子高生を紹介するから」って言われて(笑)。その次の日に女子高生を呼んで朝から晩まで話を聞いて・・・・・・、実はこれが雑誌の内容になったんです。2日目にその話を台割(目次)にして、高級な本にしたいって言ってたから、当時雑誌の値段は300円、400円が相場だったのに580円にして、版形もA4にしようと勝手に決めました。その間に大特急で束見本を頼んで。次に編集部作んなきゃなんないんだけど、尾形さんが「部員は敏夫君の好きなヤツ選んでくれよ」って。だけどみんな仕事してるだろうって。そしたらね、各編集部でそれぞれ要らないっていうのがいるわけ。そういう奴が1人ずつ集まってきて、ようやく5人くらいになったの。でもそれだけじゃ足りないから、週刊誌時代に知ってた色んなフリーの人にあっちこっち声を掛けて20人くらい集まったのかな。それで3日目そのメンバーで編集会議をしました。それで「表紙はこれにします。内容はこれにします。これでスタートしますから」って。アニメファンはキャラクターが好きだけど、スターと違って本人に話は聞けない。だから作品を作っている脚本家や、絵を描く人や演出家や声優がどういう思いでやっているかをインタビューすることをこの雑誌の基本としたんです。そういう視点で創刊号では、当時大ブームだった「宇宙戦艦ヤマト」を特集しました。とにかく時間がないから取材期間は1週間。記事を作るのは1週間しかないからって。一気にやりましたね。
小林
それでやり遂げちゃったわけですか?
鈴木
予定通り、1978年の5月28日に出ましたよ。
小林
凄いですね。
雑誌ネット
初版でどの位出ましたか?
鈴木
7万部です。
雑誌ネット
それは凄いですね。
小林
ちょっとピンと来ないのですが、7万というのはどういった数字なんですか?
鈴木
7万部は初版にしては結構凄い数字ですよ。これば僕が凄いわけじゃなく、当時アニメがブームだったという社会現象がありました。実は3日間で売り切れたんです。それでその年は創刊誌が300冊くらいあったんですが、翌年まで残っていたのはこの雑誌を入れて3冊だけですね。実はもう一つ伝えると、創刊号が7万でしょ、次の号は8万、その次の号は9万、次が10万まで行って一気にワーッと40万部いっちゃたんです。
小林
どの位の期間で?
鈴木
1年半ですね。
小林
早いですね。
鈴木
もう一つ特筆すべきは、僕と宮崎駿との出会いはこの創刊号だったんです。女子高生と話していたら、昔の作品の中にも良いものがたくさんあるというんです。その中の一人が「太陽の王子ホルスの大冒険」は面白いと教えてくれたんです。僕はその話を聞きながら頭の中で、早く本を仕上げなきゃいけないから、名作アンコールみたいなページを作れば、8ページはいくなと考えたわけです(笑)。時間もないから、このページは全部自分で担当しようと思い、関わっていたのが、高畑勲と宮崎駿でした。意図せずにドタバタでやっていくうちに、ずっと一緒になってやっていく人間と出会っちゃうんだから人生って不思議ですよね。
小林
その後もずっとアニメのお仕事をされているじゃないですか。やっぱり他のことをしたいなという心変わりはなかったですか?
鈴木
僕はさっきもお話したように、モラトリアムだったから、自分でこうしたいということがないんですよ。来たものはやるっていうのが基本にあるもんだからね。でも一度あったかな、「アニメージュ」が40万部売れ始めたころ、人が作った作品を取材して記事を作るのがつまらなくなったことはありました。僕は正直いうと怠け者なんです。流行っているものを探すのって面倒くさいんです。やるんなら、自分たちでこれがヒットするって決めちゃってそれをみんなが受け入れてくれた方が楽だなって思うようになりました。それでガンダムとか特集したんです。それをやりつつ、自分達で作品を作っちゃってこれを取材すればもっと楽だよなと思ったんです(笑)。これがナウシカ誕生の秘密。
小林
アハハハハ。ナウシカは怠け者精神から生まれたんですね。
鈴木
ついでだから言うけど、「アニメージュ」の成功によって他にアニメ雑誌がたくさん出来たんですよ、でも僕ねライバル誌を一冊も読んだこと無かったんですよ。これも僕の怠け者のなせる技です。
小林
全然気にならないんですか?
鈴木
ええ。
小林
それはご自分が作っている雑誌に自負があるからでしょうか?
鈴木
自負じゃなくて、売れてたからこれでいいんだよなっていうのがありました。売れなくなったら気になったかもしれないけどね。
雑誌ネット
出来ては潰れ、出来ては潰れしていたんですか?
鈴木
いえ、10年間くらいはアニメーション雑誌って凄い部数が売れてるんですよ。だから10年くらい経ってから消えていく。僕は雑誌を作りながら、映画も作っちゃったんですよ。
小林
それは40万部を達成した後ですか? やっぱり自分の中で、ここまで来たからネクストっていうのがあったんでしょうか?
鈴木
いえそうじゃないんです。僕の最大の欠点は怠け者なので、映画を作って自分の雑誌で取材して、特集を組めたら楽でいいなって考えるでしょ。でもその時は、映画を作る大変さまでは思いが至らなかった。結果もっと忙しくなっちゃったんです。
小林
アハハハハ。
鈴木
僕は大概そういう人生なんです。人には墓穴を掘る人生と言われています。
小林
いま一言でご自分の性格を怠け者とおっしゃいましたが、違う視点でみるとそれって凄くプロデューサー的だと思いますね。元々プロデューサー的な考え方を持ってらっしゃったのかなと思います。
鈴木
実は、僕はプロデューサーって言葉が大嫌いだったんです。ディレクションの方がずっと好きだから。つまり自分で書くほうです。尾形さんに誘われて、3時間近くOKと言わなかったのは、まだ書き手として発展途上だと思っていたから、もっと取材して勉強したかったんですよ。全体をまとめなきゃいけないってことは、その時間が減ることなんです。僕は当時の徳間書店の中では非常にめずらしい編集の責任者でした。なんでかというとプレイングマネージャーなんです。全体もまとめるけれど、自分でも取材してページを作るわけです。これはめずらしかったんですよ。当時の編集の責任者というと普通自分の足では歩かないから。
雑誌ネット
出来たものを見て尾形さんはご満足だったんですか?
鈴木
尾形は人に全て頼んでおきながら、編集長の名前はこの人なの。で、いい? これは声を大にしていうけど、僕が第1回目の編集会議をやったあの月曜日だって、カラオケに行ってしまって参加しないの。
小林
アハハハハ。
鈴木
この編集長の一番凄かったところ。それは本が出来るまで一切なにも言わない。
小林
なかなか出来ないですよね。
鈴木
でしょ!! 僕はこの人に学んだの。要するに任せたら全部任せちゃうわけ。夕方になると「敏夫君あとは任せた! 」と言って遊びに行っちゃう人なの。
小林
尾形さんの最大の功績は鈴木さんに全て任せたことですね。
鈴木
全部任せるということの大変さもあったと思うけれど、本当に全部任せてくれた。出来上がった本も僕には、文句を言わないの。で、他のやつに「ちょっとここ本当はこうだよな」って(笑)。僕は性分としてそこまで人に任せることって出来ない。だから尾形さんこそ本物のプロデューサーだと思って尊敬しているんです。で、売れるようになってきたら「僕も編集会議出てもいいかな? 」って。編集長自らネタを10個くらい出すの。僕は1個も採用しなかったの。そしたら尾形さんは馬鹿な男でね、自分が作った案を僕がいつも採用する女の子に「お前の案だって言え」って(笑)。でも僕はすぐに見破るわけ。「これ本当に君の案か? 」と言うと彼女小さくなっていましたよ。
小林
尾形さんが編集長で、鈴木さんはどのようなクレジットだったんですか?
鈴木
初めはデスクかな? その後すぐに副編集長でずっとやってましたね。

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