今回のゲストは、9月21日に親子2代同時襲名を果たした林家木久扇師匠。 歌に、物真似に、次々と繰り出される師匠の口撃に小林香はもう笑いが止まりません。
落語家。1937年生まれ。東京都出身。
東京都立中野工業高等学校卒業後、森永乳業勤務を経て漫画家・清水崑氏門下へ入門。同氏の紹介により落語家 桂三木助門下へ入門。芸名 桂木久男で見習い。桂三木助没後、林家正蔵門下へと移り、前座となり芸名 林家木久蔵となる。
69年「笑点」のレギュラーメンバーとなる。82年「全国ラーメン党」結成、会長に就任。今年9月21日、息子の林家きくおと親子ダブル襲名。

- 小林
- 初めてお読みになった雑誌って覚えていらっしゃいますか?
- 木久翁
-
「少年倶楽部」ですね。読んでいたのは、戦中ですから小学校1年生くらいの時かな。小学校高学年向けの雑誌なんですけど、ご近所で持っている人がいて、よく読ませてもらいにいきました。「少年倶楽部」で連載していた「吼える密林」の挿絵を椛島勝一と鈴木御水が描いてましてね。模写するのに借りたんですよ。
- 小林
- 昔から絵が得意でいらしたんですね。初めてご自分でお買いになった雑誌を覚えてますか?
- 木久翁
-
「漫画少年」ですね。手塚治虫さんが出てきた雑誌で、半分は投稿なんです。僕も一所懸命描いて葉書を出したんですが載りませんでしたね(笑)。その中から、石ノ森章太郎さんや藤子不二雄さんがお出になって、いわゆるトキワ荘時代が来たんですよね。あの「ジャングル大帝」は「漫画少年」の後半で連載になっていました。うしおそうじさんの「どんぐり天狗」と二本柱で連載されていました。福井英一の「イガグリくん」や井上一雄の「バット君」など、どれも模写して友達に配ってたら、すごい人気者になったんです。
- 小林
- へぇー。
- 福島
- 模写もそうだけど、物真似もうまかったんです。観察が得意なんですね。近所のクセのあるおじさんの声とか、動き方とかすぐに真似出来るから、近所の人が面白がって。ご褒美にお煎餅とか金平糖とかウエハース、ビスケットなんか色々くれるんですよ。「ひろちゃん、これ」って。それ、ギャラじゃないですか(笑)。下町の人形町は僕みたいな少年とか、面白いおじさん、おばさんが昔は大勢居たんですよ。町を歩くと芸者さんのおさらい帰りで、白粉の匂いが漂っていてね。美味しいもの屋さんがたくさんあって、映画館は4軒もあった。毎日お祭りみたいだったんです。そのうちに、だんだん戦時色が濃くなってきて食べるものにも困るようになったんだけど。

- 小林
- 他はどんなものを読んでおられたんですか?
- 木久翁
- 「譚海」かな。あと「少年画報」に載っていた永松健夫の「黄金バット」も好きでしたね。山川惣治の「少年王者」や、小松崎茂の「太平原児」に夢中になりました。小松崎茂の近未来劇画にはその頃はまだ影も形も無かったモノレールや高速道路が出てくるんですよ。
- 小林
- すごい想像力ですね。
- 木久翁
- 新幹線も想像で描かれていましたよ。ロケット列車っていう名前でもの凄い速さで大阪に着くって描いてあってね。今考えてみたらすごいなと思って。だけど携帯電話だけは作家達も想像出来なかったみたいですね(笑)。時計に電話がついていて会話するシーンっていうのは随分ありましたけど。
- 小林
- 中学や高校生になった頃は、いかがですか?
- 木久翁
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僕、家が貧しかったから小学4年生から高校3年生まで新聞配達をやってたんですよ。当時は共販性で「朝日新聞」、「毎日新聞」、「読売新聞」、「日本経済新聞」、「時事新報」、「東京タイムス」、「毎日グラフ」、「アサヒグラフ」、「週刊朝日」を配って、いつも立ち読みしてたんです。あらゆる大人の雑誌を読んでました。だからすごい情報は早かったですね。学校に行って話すと、みんな知らないからびっくりしてましたよ。成績は普通なんだけど。

