長井健司さんを悼む
10月8日月曜日。東京青山葬儀場で長井健司さんの葬儀が執り行われました。 その瞬間の映像が様々なメディアにより放映されたことで、長井さんの最後は多くの人々の目に触れたことと思います。 世界で今、何が起こっているのか。為政者は何を求めているのか。人々はどのように暮らし、日々の糧を得ているのか。常に真実を追い、真相を伝えるのがジャーナリストです。 取材対象によっては、身を危険に晒すことも少なくありません。 何故、長井さんはミャンマーに向かったのか。そこには、日本に暮らす我々に伝えたい何かがあったはずです。 ここに、長井さんのご冥福を祈ります。また、この場をお借りして、志半ばで倒れた多くのジャーナリストの方々に、謹んで哀悼の意を表します。

2007年10月9日 
雑誌ネット主宰者 篠塚 順
またひとりニュースの職人を失って

鳥越俊太郎

 ミャンマーで、またひとりのジャーナリストが凶弾に倒れました。彼は、平穏な日本に暮らす我々には窺うことの知れない現実を、多くの現場から伝え続けてきた人です。
その足跡は、北朝鮮からアフガン、パレスチナ、イラク、そしてミャンマーと、危険な地域に印されています。国の中で内線や紛争が続き、多くの市民が、子どもたちが犠牲になっている地域です。そこで起こっていることは、行かないと見えず、行かないと伝えられないものです。長井さんは誰よりも、真実の重みとその価値を知っていたのだと思います。
 世間ではジャーナリストと呼びますが、私は常に現場に拘っている人のことを“ニュースの職人”と呼んでいます。長井健司さん。あなたは、確かに“ニュースの職人”と呼ぶに相応しい人でした。それは、人としての幸福とは別の極めて異質な世界に身を投じたことでもあります。

 長井さんは生涯独身を通された。普通は結婚して子どもに囲まれ、家でビールでも飲むというのが小市民の幸せじゃないですか? そんな幸せよりも、長井さんはエキサイティングな場所へ行って、自らカメラを回して現場の様子を伝える仕事を選んだ。好きだったんでしょうね。義務感や使命感とよく言うけど、それだけで命を賭けることはできません。そんな綺麗ごとではない。
 多くの戦場カメラマンが、降り注ぐ銃弾に逃げまどいながらスクープを撮る。そして日本に帰ってくるが、あまりにも緊張感に欠けた日々に物足りなくなり、また戦場に戻ってゆく。僕もイランイラク戦争の取材でイランにいた時は、毎晩爆弾が落ちる中で、今日は助かったけど明日はやられるかもしれない、という緊張感を持って暮らしていました。それが東京へ帰ってくると凄くつまらなく感じたものです。
 長井さんはきっと周りの人からは、何故そんな危険で辛いところへ敢えて行くの? 他にも楽しいことはいくらでもあるだろうに、って言われていたことでしょう。でも、彼にとってはそれこそが、至福の時だったのだと思います。
追悼!我が青春時代の友、長井健司くんへ

 私が、海外のFM放送で“Kenji Nagai” と言う名前を聞き、その悲報を知った時、「まさか!」と鳥肌が立ってしまいました……そして、新聞で君の顔写真を見たときには、驚きで声が出ませんでした。私と、健ちゃんとは、若き日に、アメリカでの青春を分け合った仲でした……。

 健ちゃんとの出会いはカリフォルニアのリバーサイド。お互いに23歳。何の実績もなく、将来の夢を大きく広げるために英語の語学勉強をしていた頃でした。

 私は、当初、学校の寮に住んでいたけど、あるときから健ちゃんとアパートで共同生活をするようになりました。健ちゃんは、温厚で物静かな性格、でも芯がしっかりとしていた青年でした。彼とは、ルームメイトとして、言葉にできないほど楽しい共同生活をおくりました。ギターが大好きで、頑張ってジョギングをしていましたね。思い出せば、健ちゃんの当時の顔がはっきりと浮かびます。

 それから18年後、私が日本に帰ってきた時の飲み会にも、彼は駆けつけてくれました。体重が15キロも増えていた健ちゃん、でも、中身は昔の健ちゃんのままでした。
「日本の街をジョギングする気分になれないのです。 街を味わえないのです。」
と言っていましたが、本当は仕事に追われていたのでしょう。きっと……。



長井さんの写真



1984年当時の長井さんの写真  「1984年当時、長井さんから米国留学中の井本満さん宛てに送られた一枚」

 久しぶりに会った健ちゃんは、
「仕事は報道の記者をやっています。どうしてこの道にはいったのか…、それは…悪になりきれない自分自身の悪に対するヒガミなのか、妬みか、切望か、それともサドか…。『こりゃおかしいぜ』と思うことには,真っ向から体当たりする命知らずなのか…。でも、この仕事で、このまま突っ走りたいです。」と言っていました。

 私が知らない間に、あなたは、正に体当たりのジャーナリストとして、北朝鮮、アフガン、パレスチナ、イラク、ミャンマーの危険な地域に勇気を持って突っ走っていったのですね……

 10月8日の青山葬儀場でのお別れの儀で、久しぶりにあなたの顔を見ました。あなたは、本当に安らかな顔をしていた。
私は声に出してお別れしました。
「さよなら!健ちゃん!」と。

井本 満
カリフォルニア大学リバーサイド校の旧友
雑誌ネット株式会社取締役