WiLL編集長 花田紀凱が、専門誌編集長に訊く!

専門誌編集長ならではの面白さ、大変さ。 そんな話を、同じく『WiLL』の編集長をしている 花田紀凱が編集部にお邪魔して聞きました。

【第4回】
製菓実験社 代表取締役

金子恵里子さん

   
「製菓製パン」編集長

村田洋治さん

金子
 これが『製菓実験』の創刊号です。うちにもなかったのですが、昔、読者だったお菓子屋さんが持っていて、譲っていただいたものです。
花田
 たしか創刊は昭和25年ですよね。
金子
 雑誌名が『製菓製パン』に変ったのが、25年なんです。
花田
 では『製菓実験』は何年から?
金子
 昭和5年です。
花田
 『製菓製パン』の裏表紙を見ると、昭和25年に第3種郵便物認可とあって、よく見たら74巻って書いてあったので、変だなと思っていたのですが、そうか、
以前は『製菓実験』という雑誌だったのですね。
金子
 元々は大正14年に創刊された『製菓と図案』という雑誌を、昭和5年に改名したのです。初めはぺらぺらのパンフレットを紐で綴じたようなものでした。
花田
 大正12年創刊の『文藝春秋』だって最初はそんなもんだったんですよ。
 そもそもこの雑誌は、どういった趣旨で始まったものなんですか?
村田
 創業者が金子倉吉という人ですが、この人は日本で屈指の和菓子の名人だったんです。
金子
 私の祖父で、この地で竹翁堂という和菓子屋をやっていました。
村田
 その頃は秘伝とかいって若い人に製菓技術を教えないわけです。倉吉さんの偉いところは、そういうことをやっていたんじゃ業界が発展しないと。そこで製法をどんどん公開して若い人を育てようということで雑誌を始めたんです。
花田
 当然、それまで雑誌をお作りになったことはなかったわけですよね?
村田
 そうです。全くなかった、それこそ初めはパンフレットのようなものだったのですが、それが職人さんに非常に好評で、だんだんとページも増えてきました。
金子
 10年程前にお店の方は辞めてしまったのですが、お店は閉店当時で100年を超していました。
花田
 ってことは竹翁堂は倉吉さんの前に何代も続いていたんですね。
金子
 ちなみに、当社は、創業以来現在地で営業していますが、このあたりは、東海道の物資の往来を統制する問屋場(といやば)と貫目改所(かんめあらためじょ)のあったところです。
花田
 広告を見ると宗家は浅草松山町「虎屋竹翁堂」と書いてありますが、虎屋さんと関係があるのかな。ここのお店は総本舗となっていますね。支店もたくさんあったのですね。世田谷、大崎、大久保抜辮天、青山六丁目、本所番場町、世田谷、信州飯田にまである。
 ここに載っているお菓子も竹翁堂のお菓子なのでしょうね。
金子
 祖父は日頃から、職人もお菓子を作れるだけではだめなんだ、職人も教養を身に付けていかないといけないと言っていたそうです。職人は学問なんて必要ない、お菓子だけ作れればよいという時代に先駆けて。
村田
 文章もうまいし、絵もうまいしね、大変な人ですよ(笑)。
金子
 書道は毎日朝、折り込み広告の裏で練習していました。お節句の時になると「なにを作ってほしい? 」と言って有平糖なんかを作ってくれて、それを食べたのは覚えています。
 私は、竹翁堂最後の店長なんですよ。父が病気になり、手が足りないもので店は閉めてしまったのです。
花田
 やっぱり古い雑誌は面白いですね。
村田
 当時の風俗が解りますからね。
花田
 このレシピ通りに作れば昔の味が出せるんでしょうか。
金子
 単位が匁になっているからややこしいけれど、やってみれば出来るんじゃないですかね?
村田
 昔、編集で凝った人がいて江戸時代のレシピでお菓子を復元するという企画をやったら、「新幹線が走る時代に駕籠かきのやり方を教えるようなものだ」と読者の方に怒られてしまいました(笑)。
花田
 ちなみにそのお菓子は美味しかったですか?
村田
 全体に歯応えがある感じだったそうです。今はなんでも柔らかくなってきているから。
花田
 製菓実験社という社名はどういう所から?
村田
 お菓子を実験的に作るという意味で。それが、戦争中に紙が不足して他の雑誌と統合したんですね。その時製菓実験社を中心に洋菓子とか、パンの雑誌と統合して「製菓製パン」となったわけです。
金子
 戦争中は『菓糧』というタイトルでした。お菓子は贅沢品とみなされるので、食糧の一部だよという意味で名づけたそうです。
 そして戦後復刊した時に、『菓糧』じゃあんまりだということで『製菓製パン』となりました。
花田
 戦争中は食糧不足でお菓子どころじゃないですものね。
金子
 戦闘機が広告に入っている号があります(笑)。お店の方は戦争中もずっと続けてやっていました。お菓子はストップしていたのですが、パンを焼いていました。
花田
 で、昭和25年に復刊された?
村田
 そうです。
花田
 戦後すぐはお菓子どころじゃないでしょ。
村田
 砂糖の統制配給が撤廃されたのが昭和27年です。
花田
 復刊してすぐに軌道に乗ったのですか?
村田
 印刷所に借金をしたりしてなかなか大変だったそうです。
金子
 『製菓実験』の創刊号に広告を出して下さった会社で、今でも広告を頂いているところがあるんですよ。
花田
 わぁ、それは凄いな(笑)
 

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