-2-   
【第3回】「世界の艦船」編集長 木津徹さん

○船の雑誌を選んだ理由

花田
 木津さんはどういうきっかけでこのお仕事に就かれたのですか?元々船がお好きだったとか。
木津
 そうです。私は和歌山県の田辺という海沿いの町で生まれ育ちました。父は田舎の開業医でしたが、昔海軍兵学校に凄く憧れていたのに、近眼になったがために旧制高校へ行った人間で、父がいつも海軍の話をしてくれたこと。
 それと母の郷が神戸で里帰りの度に神戸港へ行けるのが楽しみでした。当時の神戸港では、今のようにコンテナ
船が横付けするのではなく、貨物船は沖合に停泊し、そこから艀(はしけ)がピストンで荷物を運んでいました。実ににぎやかな光景でした。港巡りをしていると貨物船といえども非常に華やかで、これはアメリカの船、これはフランスと見るのが楽しくて。船はとにかく綺麗なもので、世界とつながっているんだと思いました。その2つが船好きになったきっかけです。
花田
 船が好きなら、船員という道もあったでしょうが、雑誌をやろうというのは?
木津
 雑誌に関わるきっかけとなったのが、うちの叔父です。共同通信の記者をしていて時々田舎町に帰省しては中学生の僕に、政治部の記者の仕事がいかに面白いものかを聞かせるわけです。父の内科医の単調な生活を見ている僕にとっては大変魅力を感じまして、大学では新聞学を専攻しました。
 大学4年になって就職先を探していて出版がいいのか、新聞がいいのかどういうメディアにしようかと思った時に、たまたま中学時代から『世界の艦船』を読んでいた。僕の中学当時、田辺では売って無くて、神戸に行って発見した時は嬉しかったですよ。こんないい雑誌があるのかと(笑)。で、自分の愛読誌の編集に携わるのも1つの選択かなと思って応募したわけです。
 うちのような小さな専門誌では毎年人員を募集するわけでもありませんしね。たまたま募集していた年にあたったことは幸運でした。僕は2人採用された内の1人です。
花田
 船の雑誌の編集者になりたいというのをどのようにアピールなさったのですか。
木津
 それは昨秋うちの雑誌の創刊50周年パーティーをやった時にも、少し話したのですが、募集があった時は、新卒者募集という形ではなく、単に社員募集と広告が出ていたんですね。僕はその時大学4年生ですから、社会人を中途採用されてはたまらないから、来年の3月まで待ってもらわなくてはいけなかった。そこで履歴書に添えて、なんとか卒業まで待ってくれと熱烈な手紙を書きました。
 自分は子供の頃から船が好きでなんとしても入りたいと、新聞学なんかやってるけど即戦力にはならないけれど、いつか戦力になるから待っていてくれと。今考えると何だか待ってくれ待ってくれで、ずいぶん虫のいい手紙ですが、その熱意が当時の編集長の琴線に多少は触れたのでしょう。
花田
 その頃編集部は何名いらっしゃったんですか?
木津
 編集長を入れて5名かな。今は編集長を入れて7名なのでたいして変わっていませんね。
花田
 その中で新卒2名を採られたとは思いきりのいい。
木津
 今は安定していますが、当時は途中で退職する人が多かったのですね。
花田
 入られて、想像通りでしたか。
木津
 入る前、まず面接でびっくりしましたね。僕は京都で学生時代をすごし、親父も理科系の人間だから、出版社のこ
となど何も知らずに過ごしました。こういう雑誌だから社員が50人くらいはいるだろうと思って面接に行ったら、あまりにも小さくて唖然としました。善隣学生会館という水道橋にあった旧満洲領事館の古いビルで、その二部屋を借りてやっていました。想像より遥かにミゼラブルでびっくりしましたね(笑)
花田
 最初に記事が活字として誌面に載ったのは。
木津
 あまり誇らしい話でもないのですが、当時海上自衛隊は7月に展示訓練を行っていました。のちに「なだしお事件」のせいで無くなるんですがね、僕は入ってすぐ防衛庁を担当して、展示訓練について書けといわれたもので、一生懸命取材して書いたんです。
 そうしたら、巻末の「読者交歓室」というコーナーにどうしても穴が開いてしまったということで、僕の記事が、編集記者としてでなく、読者からの投書として掲載された。これがデビューです。ずいぶんひどい扱いですよね(笑)。
花田
 船に関する知識はどのようにして?
木津
 僕は高校も大学もさぼって良い学生では無かったのですが、せっかく好きな会社に入れたのだから、ここでがんばらないとダメだと思って、入社後はわりに勉強しましたよ。『世界の艦船』を読んだり(笑)、英語の雑誌を読んだり。いま振り返ってもあの頃の自分はよくがんばったと思いますね。
購読希望者はこちら
花田
 勉強すればするほど面白くなりましたか。
木津
 僕は安全保障の問題に興味がありましたから、アメリカ海軍が今後どうなるのかとか、海上自衛隊がどういう風な艦を整備すればよいのかといった側面で見ていました。純然たるマニアックな視点で、この船はカッコいいといった関心の持ち方はしていなかったし、今でもそうだと思います。
 

-2-

back<<     >>next

> 1-2-3-