WiLL編集長 花田紀凱が、専門誌編集長に訊く!

専門誌編集長ならではの面白さ、大変さ。 そんな話を、同じく『WiLL』の編集長をしている 花田紀凱が編集部にお邪魔して聞きました。

【第3回】
「世界の艦船」編集長

木津徹さん

花田
 今回、お目にかかるので、どうしても伺いたかったのが、例のイージス艦の事故。むろんまだ原因究明もされてませんが・・・・・・。
木津
 そうですね。今は捜査中で断定は出来ないのですが、2隻の体勢から見て、「あたご」は漁船が右側に見えていた。ということは「あたご」に漁船を避ける義務があったわけです。更に解ってきたことによれば、事故が起きる直前まで自動操縦していた。普通漁船がたくさんいるようなところでは、もっと早く手動に切り替えなくてはいけません。
 船の監視は、目視とレーダーの両方で相互に連携して行うもので、特に自衛艦は厳重です。今のところレーダーがどの程度漁船を把握していたかは解りませんが、普通なら探知出来ていたはずだと思うので、今回はいろいろなミスが重なったのでしょう。
花田
 もう創刊50年になるんですね。この雑誌、女性読者っているんですか。
木津
 まず男性ですね。割合でいうと、男性99に対して女性は1以下というところです。前に葉書を挟んで、読者アンケートをやったことがあるのですが、数百通返事が来た中で、女性は1、2通しかありませんでした。職業はリストアップしていませんが、学生、サラリーマン、自衛官と多岐に渡ります。
花田
 部数はどのくらい?
木津
 約5万部です。要するに1億人の中で専門誌を買ってまで船のことを知りたいDNAを持つ人は5万くらいということで、このパーセンテージは世界共通なのではないでしょうか。イタリアの船の雑誌編集者に部数を聞いて、ほぼ同じ割合だと笑いあったことがありますよ。海洋国のイギリスでは確かに日本よりも船好きの人は多いし、大英帝国は船で栄えたというノスタルジーがあって、書斎に大航海時代の絵を飾っていたりと船に対する憧れの気持ちが強い人は日本よりも少し多いでしょうが、パーセンテージにするとやや高い程度です。
花田
 増えてるんですか?
木津
 私が入社した頃に比べると倍になっています。ただ、冷戦が終わった辺りから横ばいになり伸び悩みです。まあ今は出版界全体がそうですが、若い人の活字離れの上に人口が減っていますからね。
花田
 読者の移り変わりは?
木津
 特にはないですね。「読者交歓室」に、旧海軍の軍艦のことなど熱心に書いてこられたりするんですが、私の経験では、そこから読者の多くが古い軍艦に興味を持っていると思うとさにあらずです。全体的に言って古い軍艦はあまり人気がありません。
 とにかく特集テーマにしてもあまりマニアックなものは採用しません。造船であれ安全保障であれ要するに、社会の営みの中の1つだから、何かに絡み合っているわけで、うちの雑誌では、マストの形が変わったということを特集にしたくないというのがあります。なぜ、この船が必要なのかという視点で取り上げていきたい。
花田
 木津さんが編集長になられてから、これはヒットしたなという企画は?
木津
 いくつかありますが、今問題のイージス艦、海上自衛隊の一隻目のイージス艦である「こんごう」を取り上げた時はよく売れたし、読者の関心も高かった。最近では「現代の軽空母」ですね。あと、みんなが関心を持っている海上自衛隊あるいは、アメリカ海軍の特集は定番です。
 増刊では、いろいろ出していますが、『世界の海軍』、これは2005年から刊行しています。僕がスタートさせたので愛着がありますし息子のように思っています。海軍を持っている123カ国を対象に、各軍のデータはもちろん、保有している艦名や艦影を全て写真に収めたものです。1冊2500円だから高いと思う人もいるかもしれませんが。若い世代が世界の海軍の勢力を調べようと思ったときにジェーン年鑑なんて1冊10万円もしますからね。そういった人に役立ててもらえればと思います。
花田
 では、これは売れると思ったのに全然売れなかったといったような失敗はありますか。
木津
 思ったより売れなかったというのはいっぱいありますよ。
花田
 例えばどんな特集。
木津
 そうですね、こないだやった特集、でもこんなの活字にしていいのかな(笑)。アメリカの新建艦計画を特集したのですが、やはり堅すぎたのかと反省しています。読者の中には純然たるマニアの方もかなりの割合を占めておられますが、みなさんがアメリカ海軍の軍艦などのハードの部分を紹介して欲しいのに、日米の予算システムの違いといった比較的堅い話を取り上げてしまったからだと思います。
花田
 一番思い出深い取材は?
木津
 非常に苦労した取材なのですが、まだロシアがソ連と呼ばれていた、91年の8月に他のジャーナリストと、ソ連太平洋艦隊の公開演習に招かれ、当時秘密のベールに包まれていたソ連の軍艦に乗って演習に参加しました。
花田
 それはどこで。
木津
 ウラジオストックです。当時取材の世話をしてくれたのが、日本大使館のボガチョンコフという人間だったのですが、彼はのちに在日ロシア大使館付海軍武官になって日本人の自衛官から秘密文書を入手していたスパイ事件で追放されてしまいましてね、そういったことも含めて懐かしい取材ですね。
 ソ連は本当に非効率な国で苦労しました。演習のある8月15日の直前までプレスビザがなかなか下りず、当日はウラジオストックのどこに何時に集合すれば良いのかさえ分からない。問い合わせても、自分は分からないの一点張り。ウラジオストックでホテルの予約が取れているかも分からないまま言われた通りの飛行機に乗りました。演習の集合場所をなんとか探り当てて辿り着き、無事に乗艦して、艦が動き出したときは本当に嬉しかったですよ。
花田
 ついでに大失敗というのを。
木津
 たくさんありますが、入社して間もない頃、イラストレーターの柳原良平さんに「客船史を散歩する」というタイトルで原稿とイラストを描いて頂いていて、私はお手伝いで横浜の方まで原稿とイラストをもらいにいっていたんです。レイアウトの時、画用紙に描かれたイラストを、左右78ミリとか大きさを指定して製版所に出しますよね。
 ところが、ある日製版所から想像を絶するような、もの凄く大きな亜鉛版が届いた。僕が製版所に出す時原寸で指定してしまったんですね。自分の失敗が目に見えて解るからあれは参りました。恐い先輩がいてめちゃくちゃ怒られました。
 

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