- 和天皇の葬儀で洋型霊柩車が使われました。あの頃は軒並みそうでしたね。田中角栄が亡くなった時も霊柩車が国会議事堂なんかを回ったのですが、洋型だったでしょ。
- 花田
- そうでしたかね。
- 碑文谷
- それから逸見正孝さんの葬儀もずいぶん報道されたけど、あの時も洋型なんです。で、結局洋型が非常に印象深かったんでしょうね。
- 花田
- 宮型が嫌がられるのは目立つからとか、仰々しいとかそういった理由ですか。
- 碑文谷
- 死を連想させるからというのもありますよ。
- 花田
- 文化なんですけどね。
- 碑文谷
- ある所に火葬場計画ができたとする、するとその周辺の人は霊柩車を見るたびに毎日死を連想することになるから嫌だというんですよね。それから始まって今では単に宮型霊柩車はちょっと古臭いという感じで、普通の洋型のものが好まれるようになる。これはもう、時代の流れで、白木興の祭壇も危ないよというところまで来てます。
- 花田
- 全体的には葬儀は簡素化されているんですか?
- 碑文谷
- 非常に簡素化されています。個人化したというのは、そういうことですから。60年代に冠婚葬祭についての本が出たりなんかして、「葬儀というのはこういうもんだ」と。いわゆる人並みの葬儀というのをみんなが志向した時期がありました。
- 花田
- 塩月弥栄子さんの『冠婚葬祭入門』が、ベストセラーになりましたもんね。
- 碑文谷
- ええ。僕は「塩月さんが悪い」と言ってるんですよ(笑)。要するに、塩月弥栄子さんの言ってることは、ある一部の人たちのことです。それをしかも昭和10年代ぐらいの、塩月さんの生きた時代をモデルにして、今を描いているわけです。だから、男尊女卑なんていうのがあるわけだし。喪服でも、「女性は和服が正式だ」と。でも、戦前は男性に較べて女性の洋服化は遅れていたわけで。
- 花田
- そうですよね、和服が多かったですよね。

- 碑文谷
- それだけの話なんです。男性は関東大震災以降黒に変わってきたのですが、そういうことを自分の体験だけで、「これがそうなんだ」と書かれている。
若い人、特に地方から出て来た人なんか知りませんから、みんなが「そうか」と思うし、葬儀社も「そういうもんだ」という形で宣伝しましたから。
僕は今、実用書も手がけています。何で手がけているかというと、みんな嘘ばっかり書いているから(笑)。書いてみると、実用書の世界というのはヒドイのが
- よく分かるんです。だいたい編集者が書くんです。塩月弥栄子さんとか、弟さんの千玄室さん監修とかなってますけど、編集者が以前に出た実用書を前にして書いてるんですよ。
- 花田
- 前に出たのを繋ぎ合わせて書く。
- 碑文谷
- ええ。だから、誰かが間違うとね、それがずっと続く(笑)。しかも嘘がたくさんある。それが嫌になって自分で書き始めたんです。そうしたら、また見事に真似されましたけどね(笑)。
- 花田
- 簡素化というのは、どういうことなんですかね、個人化と仰ってたけど、もちろん大家族でもなくなったし、都市化してだんだん近所付き合いもなくなってくるから必然的にそうなっていくんでしょうけど。
- 碑文谷
- 家族というコミュニティが、親戚という集団をもう持たなくなってきてますでしょ。僕なんかも叔父が死んだ時に従兄弟連中が集まったけど、もうあと集まらないんじゃないかというくらい。
それに、地域という共同体がなくなってきた。地方は過疎化で高齢者だけが残る。都市では、地方から出たものほど共同体的なものは切りますね。例えば町内会なんかでも、古い住民ばっかりで、マンションに越してきた人たちなんて全然参加しませんからね。「東京は冷たい」なんていうけど、冷たい本人は地方出身者なんですよ(笑)。ですから、高度経済成長以降、地域共同体が弱くなって、増えていったのがいわゆる会社共同体です。 - 花田
- そうですね。
- 碑文谷
- 僕なんかもそうでしたけど、社員の奥さんが死んだ、お母さんが死んだとなると、会社の人間が手伝いに行きましたよね。ですから、バブルの頃は平均300人の会葬者がいましたが、亡くなった本人を知っているのはそのうちの3割とかね。
- 花田
- なるほど、300人の中の3割ですか。
- 碑文谷
- だから7割の人は悲しくないんだと僕は言うんですけど。そうした社会儀礼色が偏重された葬儀への反発がありますね。それから、会社の繋がりがものすごく弱くなってます。会社は雇った人間を面倒みない時代に入りました。
- 花田
- 終身雇用じゃなくなったから。











昭和天皇の葬儀が決定的でしたね。昭